セルロイド眼鏡 『歩』“AYUMI”

掛けやすさへの飽くなきこだわりから生まれた 『歩』“AYUMI”の話

福井県での眼鏡工業の歴史 ⑧

今週から11月に入りました。

いよいよ、暖かみの恋しい季節となって参りました。

今週もこのブログを訪れていただき、有難うございます。


それでは、早速ですが、

先週の続きを少しばかり、お話させていただきましょう。

   *       *       *

眼鏡界の期待と責任を一身に背負った 木村菊次郎は、

大変な苦労をした末に、眼鏡への金メッキ法を完成させます。

二年の歳月の後で、1925年頃のことでありました。

この成果が、アメリカの金張り枠攻勢に歯止めをかけました。

アメリカ製品に打撃を受け転業や廃業が相次いでいた

福井の眼鏡工場も息を吹き返しました。


時代は大正から昭和へと変わります。

そして、年号がかわった途端、

世界的にかつてない経済恐慌に見舞われるのです。

ようやく眼鏡の産地としての形を整え始めたばかりの

福井の眼鏡界も例外ではありませんでした。

その頃には、福井市と隣の鯖江市にも眼鏡産業は根を張り始めておりました。

DSCN2106.jpg
(福井で眼鏡工業が始まった 生野町へ向う道。この道の、右側は鯖江市。 左側は、福井市。
五左エ門の生まれた土地は、福井市の中でも鯖江市にとても近い場所だったのです)



増永五左エ門を中心とした、眼鏡業界の幹部たちは、

 何とか、この眼鏡産業を守らなくてはならない。 と知恵を絞るのです。

打開策が、打ち出されます。

それまで手作りだけが中心の福井の眼鏡は、業者数が増えるにつれ、

品質のばらつきを生んでいました。

「これからは、機械を導入し、品質向上を図り、輸出振興を目指すことにする。」

1928年(昭和3年)のことでした。

いよいよ、福井の眼鏡工業は、

「たくさんの品質の高い眼鏡を製造する」 という

目標に向って、進み始めます。

眼鏡の産地としての基礎を固めていく上での

大きな決断でありました。



先人達の新しいことへの挑戦は、あくまでも腰を据えて、

じっくりと取り組むという姿勢が、その根底にいつもあります。

まさしく雪国で育まれた、根気の強さなのかもしれません。


そして、福井の眼鏡工業は この後に起こる 世の中の様々な出来事によって

先人達が予想もしなかった思わぬ方向に進んで行く事になるのですが...


さて、 本日はこの辺にさせていただくことにいたします。




そして、私達もその先人達の気質は受け継いでいると感じます。

歩AYUMI を作るスタッフ達の根気強さは、まさしくその表れです。

眼鏡作りは、本当に根気のいる仕事なのです。


こちらも先週に引き続き、

IOFTで発表いたしました、新しいモデルの

もうひとつをご紹介いたします。

同じくLシリーズ (Light シリーズ)

薄く軽い、けれどしっかりした 眼鏡です。

歩L-1025
Col.0473 (こげ茶笹) 品の良い色です。 30,500円(税別)
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 Col.0674(アユミパープル) *歩だけのオリジナルカラーでございます。美しいワインのような色です。
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 Col.5122(アユミブルー)  *歩だけのオリジナルカラーでございます。 紺色は、落ち着きます。
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 Col.6052(ベージュ透明) 表情に溶け込んで輝く 合わせやすい色です。
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 Col.0907(クロ) 漆黒の歩は、常に人気があります。
DSCN2247.jpg

 歩AYUMI の磨きの工程には、何段階もございまして、

決して一足飛びには、いけないのです。

 決められた段階を必ず完璧にクリアしてから、

 次の段階に進みます。

 名前の通り、1歩ずつの歩みなのです。




 どうぞ、また来週もお付き合いいただけましたら、

 幸いでございます。

 
  皆様、暖かくしてお過ごしくださいませ。


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  1. 2015/11/02(月) 05:00:00|
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福井県での眼鏡工業の歴史 ⑦

本日も、このブログを訪れていただき

誠にありがとうございます。

こちら福井は、秋晴れの良い日が続いている今日この頃です。


さて、先週に引き続き 今日も福井での眼鏡工業の歴史を 

少し振り返って見ることといたしましょう。




好むと好まざるにかかわらず、第一次世界大戦が転機となり、

福井の眼鏡界は大きく動くこととなりました。

そして、1916~1917年頃には、

(福井で眼鏡工業が始まったのは1905年ですので、約11年~12年後頃のことです)

五左ェ門の増永工場を核に、独立開業者も相次ぎ

工場数は、12件 となっておりました。

「これからは眼鏡の時代だ。必ず伸びる。枠は、作っているが、

中に入れるレンズは、まだ福井には無い。作ってみないか。」

五左ェ門の弟、幸八は、清水与右ェ門に、もちかけます。

当時は、まだ電気が無い時代です。

彼は、文殊山のふもとの水車小屋を所有していたので、それを利用して

レンズ磨きを始めたのでした。

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(今の眼鏡工場内では、ほとんどの機械が電気で動いています。
電気の無い時代に、物作りをはじめた先人達の知恵と頑張りに感心せずにはいられません)


現代の眼鏡には、普通に、メッキがつけられていますが、

福井の眼鏡が誕生した 明治末期から大正、昭和初期(1905~1930頃)にかけては

金属素材の真鍮、洋銀、赤銅などが主流でした。

しかし、1923年頃になると、アメリカから 金張り枠が大量に輸入されるようになり

うって変わった戦後不況と、この輸入枠に福井眼鏡界は、泣かされることになります。

そして、この苦境を乗り切るため考えた結果、

眼鏡にメッキをする ことを思いつきます。

そのころ、福井市でたった一件、金属メッキ業を営んでいたのが、木村菊次郎でした。

その頃 彼は、自転車部品のメッキ加工を手掛けておりましたが、

眼鏡へのメッキ、その挑戦は勝手の違う

大変困難な加工だったようです。

更に、「アメリカからの金張り枠と見間違うほどの金メッキ」という

目標が決められていたのです。

先人達の高い目標と、強い追究心に、本当に圧倒されます。



さて、この先 福井の眼鏡工業は、どのように進んでいくのでしょうか。

今日は、この辺にさせていただくことといたします。




福井で眼鏡工業が始まってから110年の月日が経つ今。

その流れを受け継ぎ、私達が作っている眼鏡 歩AYUMI を、ご紹介いたします。

先日のIOFTにて発表いたしました モデルの内

本日は、L-1023 です。

歩AYUMI L シリーズ は、
 Light ( 軽い )シリーズ でございます。

セルロイド生地 と 金属はチタン を用いて 軽く作り上げております。

セルロイド生地が持つ硬さを利用しての極薄タイプ

更に、チタンという軽い金属を採用して生まれる このシリーズは、

掛けやすいと、たくさんの方にご愛顧いただいております。

今回の新しい形も、更にすっきりとした良い眼鏡に仕上がっております。

歩L-1023 
Col.0674(アユミパープル) * 歩だけの特注オリジナルのカラーでございます。 30,500円(税別)
1023 0674

Col.0907(黒) 漆黒は、歩の定番です。
1023 0907 2

Col.1265(赤) 日本人に似合う 赤色 といってもよいでしょう。
1023 1265 2

Col.5265(バラフ) 大海原をおよぐタイマイの鼈甲色を模しています。
1023 5265 2

Col.5122(アユミブルー) * こちらも、歩だけの特注オリジナルのカラーでございます。
DSCN2242_20151025182314151.jpg


 私達も、高い目標と追究心をもつことが、大切と考えております。

 先人達に学ぶべきことは、本当にたくさんあります。


 どうぞ、また来週も 是非お付き合いいただけましたら幸いです。




  1. 2015/10/26(月) 05:00:00|
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福井県での眼鏡工業の歴史 ⑥

本日もこのブログを訪れていただき、

ありがとうございます。

おかげさまで、先だっての展示会でも

「福井での眼鏡工業の歴史 のお話を興味深く読んでいますよ」

言われることも多々ありました。

先人の苦労や意気込みを少しでもお伝えできているのでしたら、

幸いです。

それでは、今日もその歴史の続きを、お話させていただきます。




増永五左エ門が、1905年に福井で眼鏡産業を始めてから、

10年近くの年月が経ち、

工場は徐々に拡大していきました。

ですが、そうそう利益は上がらず経営も容易ではありませんでした。

どうすれば、この苦境を切り抜け、事業を進展させられるか

頭を悩ましておりました。

そんな時、世界情勢に大きな変化がおきます。

 第一次世界大戦です。1915年のことでした。

日本国内は、軍需景気で盛り上がることになります。

眼鏡も発注が増加します。

時代が、福井の眼鏡産業の窮地を打開してくれること となるのです。


更に、素材という点で、大きな転機も訪れます。

金属ではない、

セルロイドの登場です。

セルロイド生地
(セルロイドの生地素材」は、1枚が、畳ぐらいの大きさがあります)


アメリカでは、セルロイド眼鏡が作られます。

当時の映画俳優の ハロルド .ロイド がセルロイド眼鏡を掛けて、

大流行を巻き起こします。

削った前枠

 (日本にもこれより前の第一次世界大戦中に、アメリカのセルロイド眼鏡が
   入ってきていたようです、先人達もそれを目にしておりました。)


セルロイド素材を扱えるようにする事、それが先人達の

新しい大きな課題となりました。

セルロイド生地1

ですが、福井の眼鏡界が、本格的にセルロイドと取り組んだのは

昭和の声を聞いてからでありました。

増永五左エ門のような人でも本格的にセルロイドに取り掛かるまで

相当に時間が掛かっているのは、

業界の指導者として慎重に構えていたからに違いありません。


どんな時にでも、彼の肩には眼鏡産業発展への責任が、

重くのしかかっていたことでしょう。


   さて、今日はこの辺にさせていただきます。


    来週に続きます.......




先日のIOFTで発表いたしました 歩AYUMI の新しいモデルを

ご紹介いたしましょう。

DSCN2215.jpg
 歩L-1023 Col.0473 (こげ茶ササ)

DSCN2222.jpg
 歩L-1025 Col.1265 (赤)

DSCN2219.jpg
 より解りやすい表示になりました。

DSCN2226.jpg
歩AYUMI は、まさしく セルロイド眼鏡 でございます。

今日は、さらっとご紹介いたしましたが、
来週は、このモデルのバリエーションも併せて詳しくご紹介いたします。


どうぞ来週も是非、お付き合いくださいませ。





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  1. 2015/10/19(月) 05:00:00|
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IOFT と、福井県での眼鏡工業の歴史 その⑤  の巻


本日、まずは、10/6.7.8 と行なわれました

眼鏡の展示会 IOFT にご来場いただきました皆様

誠にありがとうございました。

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この展示会をより良いものにするために、

携わっていただきました方々とともに、

この場をお借りいたしまして、心よりお礼申し上げます!




今日、このような眼鏡の展示会が行なわれるようになった

礎となる100年以上前の事を、先週に引き続き

少しお話させていただこうと思います。

   *     *     *     *

増永の工場の中に、さらに小さな眼鏡工場がいくつもある
というような方式を取り入れることで、
良い意味で、眼鏡の出来上がり具合をお互いに競争するというような
風潮が生まれました。
工場の二階で、それぞれが作った眼鏡を持ち寄っての品評会も
行なわれておりました。

それぞれのグループは、
いかにしたら、他のグループより優れた
素晴らしい眼鏡ができるだろうかというような
ことに日々一生懸命でありました。

そんな頃、この工場のある、この文殊山のふもとの生野で、
大騒ぎがおきます。

工場で働く千代吉さんという人の姿が、
大晦日から見えないというのです。
お正月2日3日と皆で村内を探しますが、
行方不明のままです。
どうも大晦日に身を清めて着物を着替えて出て行ったようなことは、
わかりました。
さては、文殊山の頂の文殊堂ではと、思い当たり
登山道で雪に残る下駄のあとを見つけます。
そして、雪の文殊堂で半死半生で横たわる彼を見つけ、担ぎ下ろしました。
それは、いなくなってからちょうど一週間目でありました。

DSCN1374.jpg

後に本人に聞いた話によると、残念そうに
「もっともっと、腕の良い職人になりたくて願をかけて一週間の行に
入っていた。満願の直前で救われたので、願が壊れた、、」と。

この頃の先人達は、どうすればば良い品物ができるか、
それだけが目標であり生き甲斐であったのです。

そして、1911年 増永五左エ門の名で、国内の博覧会に出品した「赤銅金ツギ眼鏡」が、
有功一等賞金牌を受賞しました。
1905年生野の工場で産声を上げた「眼鏡」が、初めて立派なものと世間に認められた
瞬間でした。

この先、私たちマコト眼鏡とも関係の深い
セルロイドという素材が登場する時代がやってきます。

   さあ、この続きは、また次回とさせていただきましょう。




先述のように 10月6日 7日 8日 東京ビッグサイトにて、
国内最大の眼鏡の展示会が行われました。

通称 IOFT (アイオーエフティー)
各ブランドが、ブースを構え、
全国から来られた眼鏡店様に、
自分のブランドイメージをアピールしたり、
新しいモデルの発表をして、ご注文いただいたりという
催しです。

私達、マコト眼鏡も 「歩 AYUMI 」ブランドをご紹介するために
出展いたしました。

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おかげさまで、たくさんのお店様が、
当ブースを訪れてくださいました。

この展示会で発表させていただきました新しいモデルは、
LightシリーズのL-1023 L-1025 2モデルでございます。

年齢性別を問わない 掛けやすいモデルとなりましたので、
お店様から、たくさんのご予約を頂戴いたしました。

ありがとうございます。

一生懸命作らせていただきます。

どうぞ、出来上がりまでしばらくお待ちくださいませ。

 来週は、写真でのご紹介をさせていただきます。



 福井での眼鏡工業の歴史のお話もあわせて

 来週もどうぞお付き合いください。
























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  1. 2015/10/11(日) 05:00:00|
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福井県での眼鏡工業の歴史 その④  の巻


月は美しくなり、

そこはかとなく きんもくせいの香り漂う、

良い季節になりました。

今日もこのブログを訪れていただき、

有難うございます。

さて、早速ではございますが、

先週のお話の続きを、始めさせていただきたいと思います。





福井の眼鏡産業発祥となった生野町を含む

麻生津(あそうづ)地区一体は、元来恵まれぬ農村で、

食べ物も麦、大根が常食、魚などは盆、正月、祭りにしか

食べられないご馳走だったのです。

DSCN2141.jpg
(現在の麻生津一体は、広々とした農地に青々と田植えされるときもあれば、
今年のように一面の蕎麦畑になる時もあり、恵まれぬ農村というイメージは、
ないように思います。農業技術の進歩の賜物ですね。)


この皆の生活を何とかしたいとの思いで

眼鏡産業を発展させるべく、増永五左エ門は、

更に、考えます。

二人の指導者から、一丸となって技術を習得した増永一期生たちを、

責任者にいたしまして、その下に徒弟をつけて、それぞれの製作グループを

作りました。


その頃の仕事は、朝七時から正午まで

お昼休みには、徒弟はランプの掃除

そして午後一時から夜八時 九時までと続きました。



五左エ門は、請われて準教員をしていたこともあり、

教育の大切さを感じておりました。

そこで、麻生津分教場の先生に頼んで、

夜間一日おきに工場の二階で、

徒弟に勉強を教えていただき、

学力をつけることに力を注ぎました。


五左エ門自身も、勤勉な人で、毎朝五時に起き

住み込みの徒弟と一緒に掃除をしてから

朝食をとるようにしておりました。


ですが、どっしりと構えた寡黙な人で、

工場に行っても、黙って見回り、

「うまくつくれ」  というだけだったそうです。



 そして、

 増永一期生が各責任者になり、増永の眼鏡工場の中に、

 さらに いくつかの小さな眼鏡工場がある  というようなシステムができたことにより、

 眼鏡工業を発展させるための、いろいろな事が、動き始めます。

 そして、向上心の強さゆえ、ある騒動 を起こすことになるのですが.....


    さて、そのお話は、また次回とさせていただきましょう。






いよいよ、10月6日 7日 8日  東京ビッグサイト で

全国の眼鏡店様にお越しいただきまして、

国内最大のメガネの展示会が行なわれます。

DSCN1167.jpg


私共、 マコト眼鏡 も 新しい 歩AYUMI 達を連れて

出展いたします。

今度の 新しい 歩AYUMI 、自分達で言うのも何ですが

素敵に出来上がりました。

お掛けいただく場面を想像して、

内心わくわくしております。
 

全国のお店様とは、今週お会い出来ますことを楽しみに

会場でお待ちいたしております。


この展示会で発表いたします新しい歩AYUMI 達は、

来週からこのブログでご紹介させていただきます。



  ブログを訪れてくださっている皆様

  福井での眼鏡工業の歴史のお話と共に、

  また来週もお付き合いただけましたら幸いです。

   ブログでもお待ちしております。




  













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  1. 2015/10/05(月) 05:00:00|
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プロフィール

『歩』“AYUMI”

Author:『歩』“AYUMI”
『歩』“AYUMI"は、眼鏡メーカーである、マコト眼鏡のオリジナルブランド。
福井県に眼鏡を持ち込んだ始祖、増永五左エ門の血を受け継ぎ、誠実な姿勢で眼鏡をつくり続けています。

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