セルロイド眼鏡 『歩』“AYUMI”

掛けやすさへの飽くなきこだわりから生まれた 『歩』“AYUMI”の話

福井県での眼鏡工業の歴史 その④  の巻


月は美しくなり、

そこはかとなく きんもくせいの香り漂う、

良い季節になりました。

今日もこのブログを訪れていただき、

有難うございます。

さて、早速ではございますが、

先週のお話の続きを、始めさせていただきたいと思います。





福井の眼鏡産業発祥となった生野町を含む

麻生津(あそうづ)地区一体は、元来恵まれぬ農村で、

食べ物も麦、大根が常食、魚などは盆、正月、祭りにしか

食べられないご馳走だったのです。

DSCN2141.jpg
(現在の麻生津一体は、広々とした農地に青々と田植えされるときもあれば、
今年のように一面の蕎麦畑になる時もあり、恵まれぬ農村というイメージは、
ないように思います。農業技術の進歩の賜物ですね。)


この皆の生活を何とかしたいとの思いで

眼鏡産業を発展させるべく、増永五左エ門は、

更に、考えます。

二人の指導者から、一丸となって技術を習得した増永一期生たちを、

責任者にいたしまして、その下に徒弟をつけて、それぞれの製作グループを

作りました。


その頃の仕事は、朝七時から正午まで

お昼休みには、徒弟はランプの掃除

そして午後一時から夜八時 九時までと続きました。



五左エ門は、請われて準教員をしていたこともあり、

教育の大切さを感じておりました。

そこで、麻生津分教場の先生に頼んで、

夜間一日おきに工場の二階で、

徒弟に勉強を教えていただき、

学力をつけることに力を注ぎました。


五左エ門自身も、勤勉な人で、毎朝五時に起き

住み込みの徒弟と一緒に掃除をしてから

朝食をとるようにしておりました。


ですが、どっしりと構えた寡黙な人で、

工場に行っても、黙って見回り、

「うまくつくれ」  というだけだったそうです。



 そして、

 増永一期生が各責任者になり、増永の眼鏡工場の中に、

 さらに いくつかの小さな眼鏡工場がある  というようなシステムができたことにより、

 眼鏡工業を発展させるための、いろいろな事が、動き始めます。

 そして、向上心の強さゆえ、ある騒動 を起こすことになるのですが.....


    さて、そのお話は、また次回とさせていただきましょう。






いよいよ、10月6日 7日 8日  東京ビッグサイト で

全国の眼鏡店様にお越しいただきまして、

国内最大のメガネの展示会が行なわれます。

DSCN1167.jpg


私共、 マコト眼鏡 も 新しい 歩AYUMI 達を連れて

出展いたします。

今度の 新しい 歩AYUMI 、自分達で言うのも何ですが

素敵に出来上がりました。

お掛けいただく場面を想像して、

内心わくわくしております。
 

全国のお店様とは、今週お会い出来ますことを楽しみに

会場でお待ちいたしております。


この展示会で発表いたします新しい歩AYUMI 達は、

来週からこのブログでご紹介させていただきます。



  ブログを訪れてくださっている皆様

  福井での眼鏡工業の歴史のお話と共に、

  また来週もお付き合いただけましたら幸いです。

   ブログでもお待ちしております。




  













テーマ:伝えたいこと - ジャンル:日記

  1. 2015/10/05(月) 05:00:00|
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『歩』“AYUMI”

Author:『歩』“AYUMI”
『歩』“AYUMI"は、眼鏡メーカーである、マコト眼鏡のオリジナルブランド。
福井県に眼鏡を持ち込んだ始祖、増永五左エ門の血を受け継ぎ、誠実な姿勢で眼鏡をつくり続けています。

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